すごいジーンズ
ーこれすごいことなってますね。どういう構造になってるんですか?
石野「これ構造じゃなくてジージャンを穿いてるだけです。僕は袖に足を通して、後ろに襟がきている」
ースカートを穿いているのに近い?
石野「近いですね、こっからこう、トイレ行くときこう…ベルトループ付けてるだけですね。ミシンもほとんど使ってない」
ーほぼつなげただけですよね?
石野「でもこれ4WAYっすよ?コレと逆と、コレだけとコレだけ。最高でしょ?」
デニムを選んだ理由
僕は、ソニー・ロリンズ(アメリカ合衆国のジャズ・サックス奏者。ジョン・コルトレーンと並ぶジャズ・サックスの巨人と讃えられる)っていう人の『テナー・マッドネス』ていうアルバムがあって、そっから名前とったんですよ。一番尊敬してるひと」
ーテナー・マッドネス?
石野「テナーサックスがマッドネスやっていう。もうその発想そのままいただいて」
ーCDがたくさんありますね。
石野「音楽好きなんでね。僕、ドラマーやってたんですよ。だからドラムのセットが棚になったりしてるでしょ」
「このソニー・ロリンズっていう人の『テナー・マッドネス』っていうアルバムがあって、テナーサックスを吹く天才二人が唯一共演したアルバムがこのアルバムで。だから「お客さんと僕のセッション」が、デニムマッドネスの醍醐味やから、この、ジョン・コルトレーンて人とソニー・ロリンズのセッションが僕のすごく憧れるとこなんですよね。だからデニムのスタイルとかは全くこだわりないですね。誰がかっこいいとか。どっちかって言ったら、女のひとの方が。少女時代のスキニーが一番かっこいい(笑)」
「こっちが変わったジャケで特別なジャケット。こっちが普通のジャケット。この二人は天才中の天才ですよ。このひとみたいになりたいんすよ」
石野さんと話していると楽しい。目がきらきらしていらっしゃる。
だから、楽しい。
ものをつくる楽しさを思い出させてくれるインタビューでした。
文 山下愛
撮影 今西一寿
アシスト 福田浩一
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DENIM MADNESS(デニム マッドネス)
OPEN(11:00〜21:00)定休日 月曜
大阪府大阪市西区土佐堀1-4-2西田ビル2F
●地下鉄四ツ橋線「肥後橋駅」3番出口より
土佐堀通りを西へ 土佐堀1丁目東交差点を右折後すぐ 徒歩約5分
●京阪電車中ノ島線「渡辺橋」2番出口より
南西へ 国立国際美術館を過ぎ 筑前橋を南へすぐ 徒歩約8分
●JR大阪環状線「福島駅」、東西線「新福島駅」、阪神電車「福島駅」より
南へ 国立国際美術館を過ぎ 筑前橋を南へすぐ 徒歩約10分
TEL&FAX:06-6940-6677
http://www.denimmadness.com
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*DENIM MADNESS 石野直人 プロフィール
1977生まれ 兵庫県出身
ショップ店長を経て、27歳で大阪モード学園入学、独学でジーンズの製作をはじめ、
2007年よりデニムマッドネスをスタート(当時ジーンズ1本3000円)
その後、本町セレクトショップ「月と6ペンス」、南船場セレクトショップ「ARMS」にてオリジナルリメイクを展開、さらに古着バイヤーも経験、福島アンティークショップ「スターキャットガレージ」にて古着バイイング担当、在学中に個人のファッションショーをクラブ「レインドックス」にて開催、200名動員。
製作は依頼者との会話から生み出される独特のスタイルが話題となり、
ファッション雑誌「カジカジ」、関西発サブカル雑誌「IN/SECTS」、関西テレビ「クリ8」(クリエイト)、
関西テレビ「よーい、どん!」などのマスコミにもとりあげられる。
2010年、6月アトリエをstrange stretch records のトム・ツジモトと共に開設、
現在に至る。
ーこれすごいことなってますね。どういう構造になってるんですか?
石野「これ構造じゃなくてジージャンを穿いてるだけです。僕は袖に足を通して、後ろに襟がきている」
ースカートを穿いているのに近い?
にこにこ |
石野「でもこれ4WAYっすよ?コレと逆と、コレだけとコレだけ。最高でしょ?」
ー色んな人に聞かれているとは思うんですけど、デニムにマッドな理由って何ですか?どこが一番好きですか?
石野「自由なとこですね。デニムっていう生地があらゆる生地の中で一番自由やと思います。僕も色んな素材好きやし、色んな素材着るんですけど、破れてても色落ちしてても、トップスにもボトムスにもなるし。鞄にも靴にもなるし、そんな自由な生地ってないと思いますね。もちろんデニムだけが好きなわけではないんですけど、一番好きなのはデニムです。自由やからです」
ー今までに、象徴的にこの人のデニムの穿き方がかっこいいと思う人はいますか?
石野「特にないですね。好きなブランドとかもないし、KAPITALは好きやけど。そこで、全身それ着たいとも思わんし、そういうところ無頓着なんですよね。ブランドとか、誰がかっこいいとか。もちろんジェームズ・ディーンとか、かっこいいけど…。それが絶対なんてことはない。僕、どっちかっていったら、それとは違うところからファッションに要素を入れることが多くて。そっちの方が好きですね。
ソニー・ロリンズ『テナーマッドネス』のアルバムを持って話す石野さん |
石野「テナーサックスがマッドネスやっていう。もうその発想そのままいただいて」
ーCDがたくさんありますね。
石野「音楽好きなんでね。僕、ドラマーやってたんですよ。だからドラムのセットが棚になったりしてるでしょ」
ドラムが棚になっている |
ジャケット違いで持っている |
石野さんと話していると楽しい。目がきらきらしていらっしゃる。
そしてそれは石野さんがつくるジーンズにも出ている。
「お客様の期待を越える」という工夫を石野さんがされているからだと思う。
言われたことを言われたままつくるオーダーメイドではなく、
言われたことを叶えながら、そこを越えていくオーダーメイド。
ものをつくる楽しさを思い出させてくれるインタビューでした。
文 山下愛
撮影 今西一寿
アシスト 福田浩一
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DENIM MADNESS(デニム マッドネス)
OPEN(11:00〜21:00)定休日 月曜
大阪府大阪市西区土佐堀1-4-2西田ビル2F
●地下鉄四ツ橋線「肥後橋駅」3番出口より
土佐堀通りを西へ 土佐堀1丁目東交差点を右折後すぐ 徒歩約5分
●京阪電車中ノ島線「渡辺橋」2番出口より
南西へ 国立国際美術館を過ぎ 筑前橋を南へすぐ 徒歩約8分
●JR大阪環状線「福島駅」、東西線「新福島駅」、阪神電車「福島駅」より
南へ 国立国際美術館を過ぎ 筑前橋を南へすぐ 徒歩約10分
TEL&FAX:06-6940-6677
http://www.denimmadness.com
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*DENIM MADNESS 石野直人 プロフィール
1977生まれ 兵庫県出身
ショップ店長を経て、27歳で大阪モード学園入学、独学でジーンズの製作をはじめ、
2007年よりデニムマッドネスをスタート(当時ジーンズ1本3000円)
その後、本町セレクトショップ「月と6ペンス」、南船場セレクトショップ「ARMS」にてオリジナルリメイクを展開、さらに古着バイヤーも経験、福島アンティークショップ「スターキャットガレージ」にて古着バイイング担当、在学中に個人のファッションショーをクラブ「レインドックス」にて開催、200名動員。
製作は依頼者との会話から生み出される独特のスタイルが話題となり、
ファッション雑誌「カジカジ」、関西発サブカル雑誌「IN/SECTS」、関西テレビ「クリ8」(クリエイト)、
関西テレビ「よーい、どん!」などのマスコミにもとりあげられる。
2010年、6月アトリエをstrange stretch records のトム・ツジモトと共に開設、
現在に至る。
第1回目は、石野さんがデニムマッドネスを始める前までさかのぼって、たっぷりお話を聞いてきました。
2回目はインタビュー形式で、デニムマッドネスを実際に愛用されている方の声を聞いていきたいと思います。
まずは小谷さん(写真左)です。
自転車好きとデニム好きのセッションー小谷達人さんの場合ー
ーデニムマッドネスにくるきっかけは?
石野「小谷くんは専門学校の同級生。ことあるごとに応援してくれてます。1月に2本しかオーダーが入らんかったときに頼むからつくらしてくれって言った貴重な方です。自転車に乗ります。これ、スポーティーな仕様のジーパンになってて…」
前 |
石野「ここ、ベルトを這わしてるんですよ。ボタンをホールで空けて、それだけやとずれてくるから、レザーでパイピングして」
小谷「ベルトが中に埋められてるんですよ」
石野「つくってからベルトを中に通さないといけないのと、つくる前にベルトの穴空けないといけないのと。普通のやったら、付けて縫っておわりやけど。デニムってある程度ぶ厚いものやから、イージーパンツみたいに寄せて入れるのができないので難しいんですよ(笑)大変やけど、もう、彼の気持ちですよね。彼自身の自転車好きとデニム好きのセッションですよね」
オシリは二重に補強されている |
石野「もともと軍モノでよくあるパラシュートパンツで。そういうのも話をしながら…。ここもベルクロになっててね。膝上で穿きたいときと、ちょっと外すときと」
裾は開け閉めが調節できるようになっている |
石野「夏は基本的にちょっとゆるめにして、風が入るようにしたりとかしてますね。で、ここ普通やったらサイドシーム(※パンツの脇線の縫い目)ずっと付いてるんですけど、別になってて」
小谷「しかもストレッチ効いてるんで。乾きやすいですし、動きやすいです。機能的ですね。自転車乗るためのデニムパンツです」
ーコラボするのは何本目なんですか?
石野「以前つくらしてもらったんが一本と、あとショー用に着てもらったスーツがあるんですけど」
ブラックデニムのセットアップ |
小谷「セットアップのスーツなんですよ」
ーこれ、めっちゃかっこいいですよ。フォーマルやし、あれ?髪型変わってる(笑)
石野「これ卒業制作でつくったんですよ。フォーマルな場所に着ていけるスーツが欲しいと思って」
ー襟立ててる感じがなかなかいいですね。
石野「立てやすいように襟を細くつくってるんで。ポケットのデザインとかめっちゃ気にってるんですよ。下までポケットになってて」
ーバックのシルエットはどうなってるんですか?
バックポケットが外に付けられている |
石野「後ろはセンターベンツになってて。バックポケットにそのまま付けてしまうと、圧迫感がすごくあるじゃないですか。だから外に出して、ぶらぶらなるようにつくったんですよ」
ー建設会社の棟梁みたいな感じもしますね。
石野「ぶ厚いもの入れても、オシリがしんどくないんですよね」
ーこれも歩いてたら見てしまうな。でも、見ちゃうけど、普通に着れるとこと奇抜感のぎりぎりで。
石野「奇抜すぎると着るのをためらったりとか、気分によって着れへんかったりとかしてしまうから。
やっぱり僕は基本はシンプルなものが好きなんで、シンプルにつくりましたね。お葬式とかも全部これで行ってたもんね」
ーマッドネス!!葬式まで。。
お二人目は藤田さん。
つなぎは何回も買ったことあるんですけど、やっぱ暑いじゃないですか?それで誰かおらへんかな~と思ったら、あっ、いてはるわって。ー藤田耕平さんの場合ー
石野「彼は美容師さんで今度独立されるんですけど、けっこう付き合いも長くてこれが3本目。1本目がサルエル、2本目はスキニーで、3本目がこれ、何か分からんズボン(笑)完全にエスカレートしていってる感じなんですけど。話をしながら、つなぎを上を脱いで腰で巻いたときみたいに見えるズボンをつくってくださいっていうオーダーをいただいたんですね」
袖が1m20〜30cmもある |
ーこれ着脱は?
石野「この1m20cmか30cmくらいの袖をタイパンツみたいに腰で巻くみたいな。全然なくていいんですけど、あった方がかわいいし。袖に付いてるボタンホールをこのボタンに付けてだらんと付けれる」
腰に巻くとこんな感じに |
ー巻いて、ボタンにキュッとはめて固定させると。この最初の発想は彼にあって、それをデザイン画に?
石野「落書きみたいな感じの紙に描いて、パターンをひいて」
ーこのたわみはなんで欲しかったんですか?
藤田「ああ、僕ね、アニメオタクなんです。こういうつなぎ着てね、やんちゃなことばっかりするやつがいるんですよ。KISSのTシャツ着て、あほなことばっかりするキャラクターがいてて。つなぎは何回も買ったことあるんですけど、やっぱ暑いじゃないですか?それで誰かおらへんかな~と思ったら、あっ、いてはるわって」
ーはき心地はどうですか?
藤田「サイコーです。前回スキニーつくってもらって、ちょっと年齢も年齢で(体に)ゆとりがなくなってきたんで、ちょっとゆったりめのやつを」
ーそのズボンで髪切ってたら、お客さんもけっこう食いついてきませんか?なんやそれって感じで。
藤田「そうそう。西九条で1回、デザインの専門学校の子に声かけられて、そのジーパンどこのやつですかって。わしがつくらしたんや(笑)って。いちお直人くん(石野さん)の名刺渡しといたんですけど」
石野「こうやって一人の美容師さんやけど、コラボでできたもんやから、可能性が面白いですよね。これ、袖1m30cmあるけど全然意味ないですからね。でも、話聞いてかっこよくなりそうやなって。で、絶対似合いそうやなと思って」
横から |
ー物入れやすそうですね。横も美容師さんとかやったら何か入れたりするんですか?
藤田「何でも入れますよ。これけっこう使えますよ。チャリンコ乗ってるときとかペットボトル指してもジャマにならない」
石野「デザインとしてもあったほうがいい」
ー白いステッチもかわいいですね。
石野「ステッチの走らせ方も2本でするとか3本でするとか1本でいくとか、その商品のバランス見ながらやっていくんですよ。だから縫う作業ってむちゃくちゃクリエイティブですね。人に任せられない、絶対」
ーミシン、苦手です。
石野「ミシンは友達です。ミシンの前座ったら落ち着くんでね、なんか。つくるのしんどいときとかあるんですけど、デニムを縫うってなると自然にテンションが上がるんですよ。なんか不思議なんですけど。あれが有り難いと思います」
ー今はTシャツで合わしてはるんですけど、他お気に入りのコーディネイトはありますか?
藤田「何でも入れますよ。これけっこう使えますよ。チャリンコ乗ってるときとかペットボトル指してもジャマにならない」
石野「デザインとしてもあったほうがいい」
ー白いステッチもかわいいですね。
石野「ステッチの走らせ方も2本でするとか3本でするとか1本でいくとか、その商品のバランス見ながらやっていくんですよ。だから縫う作業ってむちゃくちゃクリエイティブですね。人に任せられない、絶対」
ーミシン、苦手です。
石野「ミシンは友達です。ミシンの前座ったら落ち着くんでね、なんか。つくるのしんどいときとかあるんですけど、デニムを縫うってなると自然にテンションが上がるんですよ。なんか不思議なんですけど。あれが有り難いと思います」
ー今はTシャツで合わしてはるんですけど、他お気に入りのコーディネイトはありますか?
石野「パーカーとかね、グレーのね。スエットとか」
人が絶対やらんことをやる、後は面白いもんをつくるっていう、大阪でやるからにはやっぱその2つ。
ー似合ってますね。褒められますよね?周りの人から。
石野「気持ちいいですよね、人に見られるって。人が絶対やらんことをやる、後は面白いもんをつくるっていう、大阪でやるからにはやっぱその二つ。絶対条件やと思うんで。こんな発想、例えば僕が東京でやったとしたら出てくるんかと思いますもんね。大阪の人ってやっぱ得したとか安く買えたとか自慢するじゃないですか、で、オーダーやから一律やから、『こんなんつくらしてん』て、その自慢が広がったら面白いしね。俺はもっとオモロいもんここにぶつけたるねんみたいに思ってもらえたら」
ー人と違うってことを誇らしく思う気質がありますよね。
石野「だから僕大阪って好きで。土地が。将来的には東京とか海外とかも行きたいなと思ってるんですけど。大阪からスタートするのは、人間の質が合う、僕自身と。だから大阪が一番面白いと思う」
*お知らせ*
本インタビューにご協力いただいた美容師の藤田さんが独立されました!!
http://kuretake-hair.com/HAIR SALON KURETAKE
大阪市北区中津1-11-25
TEL&FAX 06-6374-3236
定休日 毎週月曜日と第2火曜日
営業時間 10:00〜20:00(時間外予約、喜んで相談受けます)
今回ご紹介するのは、「DENIM MADNESS」(デニムマッドネス)石野直人さん。
デニムマッドネス 石野直人さん |
オーダーメイドジーンズをつくられています。
ジーンズといえばおしゃれの定番。
ところが、サイズ、色、かたち、生地…これらの全ての要素に納得できる一本にはなかなか出会えません。何本買っても、「なんか違う」の繰り返しでどんどん数だけ増えていったり。
そんな、「自分に一番似合うジーンズ」を求めている人に紹介したいのがデニムマッドネスです。
石野さんは、ジーンズを穿くシチュエーション、趣味、好きな食べ物、好きな音楽など、さまざまな質問を通して、お客さんの要望をすくいあげ、提案します。そしてそれに対してお客さんも自分の思いをぶつけます。このような、音楽でいうセッションのようなコミュニケーションから世界でひとつだけのジーンズが生まれます。
そこに込められた思いを、石野さんのこれまでの経歴まで辿りながら、探ってきました。
インタビューの内容が濃いものになったので、3回に分けます。
その1 : デニムマッドネスについて。
その2 : デニムマッドネスを実際に愛用されている方の声。
その3 : 質問とこぼれ話。
それでは始めたいところですが、
その前に皆様にお断りしておかなければいけないことがあります。
それは、このインタビューが一年半近く前に行われたということです。
掲載が遅れた原因はひとえに私の責任にあります。
石野さんが奇特な方でなければ実現しませんでした。
石野さん、ご協力いただいた皆様、すみませんでした。
そして、快く掲載をお許しいただき、感謝いたします。
それとひとつ、
石野さんより、読んでいただく皆様にメッセージがあります。
以下の通りです。
「有難くも、本当に等身大の自分として、友達同士のような関係性でライターさまとお話させていただいた故に、私の言葉が全体的にあまりにもフランクな点が、読者さまを不快にさせてしまうかもしれません。その点はご容赦くださいませ」
実際、石野さんは初対面にも関わらず、私たちに友達のように接してくださいました。
記事にもその雰囲気が良い意味で出ているのではないかと思っています。
前置きが長くなりました。
それでは始めます。
よろしくお願いします。
ー洋服が元々好きだったんですか?
石野「そうです。姉貴がいまして。女の子やからスカート履くじゃないですか。それがすごい羨ましくて。スカート履いたりしてました。中性的とかじゃないんすよ。単に服の選択肢が女の人の方が多いってのがいいなと」
ーいくつぐらいのとき?
石野「保育園とか幼稚園とかそれぐらいのときですね」
幼い頃から洋服に興味を持っていた石野さんだが、大学は法学部に進学。卒業後は販売の仕事に。
石野「服めっちゃ売ってたんですけど、心の底から薦められるものを売りたいと思うようになって。ないんやったらとりあえずつくれるようになる勉強をしようと思って、大阪モード学園に4年行ったんですよ。特に職人になりたいと思ってではなく、行ったらなんか開けるやろぐらいの気持ちで」
最低限の勉強をして、その後は…という石野さんだったが、転機が。
石野「一年生である程度全アイテム習うんですよ。それで自分のためにジーパンをつくろうと思って。その時にすごく感動して。もう、すごいうれしくて。一人でつくって完成したとき、一人で泣いたんです。で、泣きながら踊ったんです(笑)」
ーどんなジーンズ?
「ローリングストーンズていうバンドが大好きで、『Sticky Fingers』ていうアルバムがあって。
「ローリングストーンズていうバンドが大好きで、『Sticky Fingers』ていうアルバムがあって。
ザ・ローリング・ストーンズ『Sticky Fingers』ジャケット |
アンディーウォーホルがジャケットをデザインしてて。前チャック晒しのスキンのジーパン初めてつくったんですけど。自分の中で思い描いていたものが、ある程度近いものができて。それに強度もある程度しっかりしたものができたから、ちょっとこれつくっていこうと思って。勉強にもなるし」
オーダーメイドジーンズを始めるきっかけ
これまで製作してきたジーンズの数々 |
石野「だけど自分のためにつくるのに、5〜6本ぐらいで飽きてしまって。だけどそれを履いてたら、友達とかに『俺のもつくってくれや』て言われるようになって。それが始まりです」
ーそれで友達の口コミでポツンポツンと…じゃあそこで頑張ってみよう、ドーンっとやろうと思ったきっかけは?
石野「専門学校4年生のとき。卒業制作があるんですけど、学校が勝手にチーム組むんですよ。そのチームで共同制作やれって。一人一体作品をつくるんですけど。絶対やりたくなかったんですよ。なんでかっていうと、素材から何から全部話し合って決めるじゃないですか。僕、デニム以外縫う気ないんで。だからといってデニムを全員に押し付けるのもイヤやし。他の生地押し付けられて適当なもんつくるのもイヤやし。
手前の白いものが仮布段階のジーンズ |
断ったんですよ。成績はすごい下がるんですけど。で、やらない分、逆に個人でファッションショーしようと思って。初めてイベント会場借りて、ファッションショーしたんですよ。初めて「DENIM MADNESS」ていう名前を言い出して。お客さんも必死に呼んで。周りの友達も手伝ってくれて。もう、すごく達成感というか。ほんまにやってよかったと思ったんですよね」
この調子でデザイナーへの道を進んでいくかと思われるが…石野さんは就職活動を始める。
石野「学生時代はすごく安くしてたからオーダー入ってたけど、それを高くしたときにどうなんかと。その金額を取るのに自分の腕が成り立ってないんじゃないかと思って。そのために一回就職をして、プロの縫製技術とか、プロがデザイン出すのにどんだけ苦労してるかとか。それを見ときたいと思ったんです。
尊敬できるブランドが、「KAPITAL」(http://kapital.jp/)て岡山の会社であるんです。そこに面接を受けに行ったんですよ。ファッションショーの写真を全部持っていって。そしたら、デザイナーさんに、『何で自分でやらへんの?』て言われたんですよ。そのときに答えに困って。何でなんやろって思ったんですよ。でもそれが逆に、『自分でやれんのちゃうん』ていう風に後押してくれてんのかなって僕はとらえて。仲良くしてもらってた雑貨屋さんにサンプル1本置かせてもらって、そこからお客さんもらうっていうシステムでフリーでやりだしました」
使い込まれたミシン |
ー今まで続けてこられて、何か大きく挫折(気持ち的にも経済的にも)のようなものはありますか?
石野「周りに助けられてるっていうのはすごくあって。結局美容室とかと一緒で、飛び込みってないじゃないですか。めっちゃ評判がいいとか、友達に勧められたりとか。ジーパンの場合は毎日履いてもらえて、『それ、変わってんなあっ』てとこから次のお客さんが来るから」
ー歩く広告になってくれてるってことですね。
石野「お客さんがお客さんを連れてきてくれるんですよ。一緒に来てくれて、みんなでしゃべるみたいな。それがすごく面白い」
ーそんなにうまくいくものなのでしょうか。もちろん才能っていうものがあっての話ですが。
石野「でも、今年の1月にオーダー2本だけやった月があって。死ぬ程焦りましたね。身近な友達にめっちゃ安くするからつくらせてくれって言って。あとはその辺ぐらいからイベントに積極的に参加するようにしたんですよ。萬福寺のイベントとか、ツムテンカクっていう通天閣でやってたイベントとか。僕自身が広告塔っていったらあれですけど、このひとは普通のジーパンつくらへんやろなっていう、それを分かってもらわないかんなと。やっぱりオーダーって受け身なもんやし、ものづくりって閉じこもるもんやけど、表出んなあかんねんなって。そしたらオーダーをポーンといただいたりとか。
壁には数々のイベントのフライヤーが |
挫折といえば、専門学校時代に思いっきり挫折をしたんですよ。服屋で店長してて、スタイルコーディネーターっていう、売り方を教える仕事をしてたんですよ。ちょっとだけ偉いさんみたいな役職をさせてもらってたんですけど。そっからやめて、10コ下の子らと同じ机並んで勉強するってなったときに、僕27で入学してるから、周り18歳じゃないですか。そのときに、なんでこんなガキと一緒に勉強せんなあかんねんっ(笑)
でも2年目で開き直りましたね。楽しかったね〜。年齢とかじゃなくて感覚でしゃべれたらいいんやと。そこで頭打ちました、いちばん。その感じが僕にとってはすごく大きかった。10コ下の人らと楽しく過ごすっていうのは全然価値観も違うし、感覚も違うけど、服すきってことに関しては一緒やから。で、逆に僕が刺激して、そのひとは良くなって、人と人でね、付き合っていけたらいいかって思えたんですよね。1年かかりましたけど」
でも2年目で開き直りましたね。楽しかったね〜。年齢とかじゃなくて感覚でしゃべれたらいいんやと。そこで頭打ちました、いちばん。その感じが僕にとってはすごく大きかった。10コ下の人らと楽しく過ごすっていうのは全然価値観も違うし、感覚も違うけど、服すきってことに関しては一緒やから。で、逆に僕が刺激して、そのひとは良くなって、人と人でね、付き合っていけたらいいかって思えたんですよね。1年かかりましたけど」
オーダーメイドジーンズができるまで
ーまず何から始まるんですか?いきなり採寸をする?色々とお話をする?
石野「まあ簡単に言うたら、例えばデニム好きなひとの中でも、めっちゃ生地が好きなひととか、こんなデザインが欲しいっていう方もいらっしゃいますし、バラバラなんです。
デザイン重視の場合は、デザインから決めていくんですよ。そうじゃないと、そのデザインに適していない生地を選んでしまって、例えばめちゃくちゃ細いスキニーが欲しいのに、全然伸びない生地でつくってしまうと、かっこいいかもしれんけど履きにくいので。なので、デザインを重視される方はデザインの話からしますし、生地にこだわる方には生地から見ていただきます。
デザイン重視の場合は、デザインから決めていくんですよ。そうじゃないと、そのデザインに適していない生地を選んでしまって、例えばめちゃくちゃ細いスキニーが欲しいのに、全然伸びない生地でつくってしまうと、かっこいいかもしれんけど履きにくいので。なので、デザインを重視される方はデザインの話からしますし、生地にこだわる方には生地から見ていただきます。
さまざまな種類の生地がある |
『とりあえずやってみてよ』みたいな方には、僕からデザイン提案をさせていただく。『こんなん似合うと思いますよ』と。あとはお客さんのニーズですよね。ここには普段何を入れるからポケットが使いやすくてとか。自転車乗るから膝周りはラクにしてほしいとか。そういう話もしながらデザインを決めていって…僕の中では話し方って全く決まってないんです。
1回目はめっちゃ話込むんですよ。1~2時間。この前は4時間半しゃべりました(笑)でも2回目以降は一瞬で終わるんです。好きな音楽とか好きな映画とか、趣味とか。(デザインをする上で)迷ったときに、あのひと、コレすきなんやったらコレすきやなってつながる共通の言葉がひとつある。それが分かると制作過程で迷わなくなる。思い切ってやれる。
セッションですよね。ライブみたいな感じで。お客さんの中から生まれてくるクリエイティブな発想とかをもらうと、僕の中のデザインの引き出しもひとつ増える。だから将来的にはオリジナルのブランドにしようと思ってるんですよ。だけどそこに行くまでのプロセスとして、僕はジーンズ屋さんで修業したりとか、ものづくりの修業をしたわけじゃないから、逆に1本1本つくっていこうと。おそらく誰もやってないようなプロセスやから、絶対面白いもんが出来上がるやろうと思ってます」
こういう経緯でできたブランドやからこそ、ほんまのスタンダードなものができる
ーではそのオリジナルはどういうものになるのでしょうか?
石野「僕はこういう経緯でできたブランドやからこそ、ほんまのスタンダードなものができると思うんですね。おおげさな言い方ですけども。今のジーンズって、よりファッション、新しいシルエットとか、装飾的な部分とかっていう方が重視されてるけど。僕はちゃんとしたライフスタイルというか、人や目的に沿った延長に絶対それ(オリジナル)はあると思うんですよ」
ー面白いですね。色々やってみた上で、ものすごくオーソドックスなものができるという。その中にもデニムマッドネスのにおいはどこかにあるという。
アバンギャルドなものとか、前衛的なものとかも僕大好きやけど、デザインっていうものは見た目のかっこよさも大事やけど、気持ちいいかとか、僕自身のサービスも含めて、できるものやから。穿き心地がいいっていうのも勿論やし、生地もそうやし。その全てのエッセンスが詰まったものができたときに、僕は自分のオリジナルやって言い切れると思う。それが目標です」
お客様の期待を越えるーオーダーメイドでものをつくっていくときに、お客さんとのコミュニケーションのなかで、一番大事にしてることっていうのは何ですか?
ノートに書き留められたメモ |
石野「お客さんの期待を裏切るっていうことですよね。良い意味で。『言われた通りそのまんまつくりました』やったら、僕がつくる意味がないんですよ。それはほんまに仕立てのかっちり縫える職人さんにやってもらった方がいいと思うんです。
例えばポケットのなかに入れるスレーキっていう生地があるんですけど、その人が好きそうなスレーキを選んだり、柄ものとか。例えばそこに見えてるズボンとかやったら、中がボーダーとかなってるんですけど(水色とピンクのボーダーでした)。表からは見えへん部分。話してるときはそういうことは一切言わないんですけど。このバランスですよね。やりすぎたらジャマやと思われてしまうし。そこは一番難しいですね。でもそれをしないと絶対リピーターにはならないと思うんで」
「ものづくりって全部そうやと思うんですよ。メシ食いにいって、トマトソースのパスタを頼んで、今まで食べたことのあるトマトソースのパスタが出てきたら、もう多分行かないですよね。やけど、そのお店にしかない下味の付け方をしてたりとか、こんなに酢使うんやとか(笑)ちょっとしたさじ加減。ひととは違うスパイスを入れる、そこを一番大事にしてます」
スタッフ全員が本業で猛烈に忙しくなってしまい長期休止中です。申し訳あ
りません。
近々なんらかの形で再開いたします。懲りずにどうぞお付き合い下さい
りません。
近々なんらかの形で再開いたします。懲りずにどうぞお付き合い下さい
前回のエントリーでレポートした「ヘッドホンで聴く、屋外の映像と音のイベント=SHC」。(記事はここをクリック) このイベントを成立させているのは、会場であるFLOAT(フロート)であると言っていい。主催者の杉原さんと並ぶ、もう一人のイベントの立役者は、ここを主宰している米子匡司さん(1980年生)だ。
各種PA機器。奥には昇降エレベーター
安治川というロケーションも含め、独特の雰囲気を持つこの場所を、イベント・スペースとしてパブリックに公開している米子さんに、数匹の猫がうろつく事務所で話を伺った。
米子「FLOATは2008年8月31日にオープンしました。
僕自身が音楽活動をしていたので、とにかく音を出せる場所を探していたんです。プライベートな音楽スタジオという意味では無くて、音楽を含めたイベントを開けるような場所が欲しかったんです。
とはいえ、自宅とスタジオを2軒同時に借りるのは経済的に無理でしたので、住居にもなるオープンスペースです。
環状線を一駅ずつ降りて探しました。天神橋商店街あたりの物件は家賃が高いし、寺田町となると隣家との壁が薄くて音は出し辛い。本当にいろんな物件を見てきて、最終的に見つけたのがこの倉庫なんです。昼間は工場街なので音も出し易いし、表の道の雰囲気も気に入り、コスト等の条件も合致した。堺出身なので、この辺の事情には明るくなかったんですけどね。」
江戸時代、大坂は「天下の台所」と呼ばれるように、物流と商業の中心地だった。とはいえ、その基地となったのは現在の大阪港・南港ではない(存在すらしてなかった)。大型船は安治川河口に停泊し、荷物は水運の良い川を利用して全国の蔵屋敷のある中之島に近い河川港で下ろされていた。それが川口・安治川地区だ。明治以降も、港湾機能の中心はこの地区であり、たくさんの倉庫群や造船関係の工場が作られてきた……という歴史を持っている。
米子「ところが契約した大家さんに、住むつもりだと伝えると、ダメだと言うんです。とにかく住居にするのはNG。理由はよく分からないのですが、そうらしくて…。
聞くところによると、この建物は昭和30年頃に建てられたものらしいんです。海運倉庫だったのか、今でも国の持ち物みたいです。契約書にも「内務省」という文字が書かれてますからね。
事務所兼イベントスペースならOKという事なので、とにかく契約したんです。まあ、住んではいますが…事務所に泊り込んでいるという事にしています。」
倉庫に住む…それだけでも驚きだが、そこが国有地とは…。頭は疑問符だらけだが、米子さんは軽々と実行している。しかも、ここはパブリックな場として開放されている。
それは「住み開き」と呼ばれる活動のようだ。
住み開き(すみびらき)とは、住居や個人事務所といったプライベートな空間を、本来の用途や機能を保ちながら、一部を限定的に開放しするこ とによってセミパブリック化させる活動や運動、そのような使われ方をする拠点のこと。自宅で子どもが独立してできた空き部屋や、事務所の空間、改築によっ てできたスペースをカフェやギャラリーなどとして、近隣の人たちにスペースを開放する。アイデアで色々な用途に使用でき、新しいコミュニケーションの場として広がりをみせている。(Wikipediaより)
プライバシーやセキュリティ意識ばかりが強調されがちな昨今、一部であるとはいえ、私的な領域である自宅を、広くオープンに公開するとはどんな気持ちなのだろう。抵抗は無かったのだろうか。
米子「確かに、もともと住んでいた場所を、後になって開放するというのは、いろいろ問題も出てくるかもしれません。でも、僕の場合は最初から場所を開こうと思って住み始めたわけですから。それに、たぶん僕自身、プライバシーが無くても大丈夫な性格だった事も大きいでしょうね。
ただ、場所を開いてみてから気づく事もありました。細かな話ですが、ある女性から「トイレに汚物入れを置いて欲しい」とお願いされたんです。ハッとしましたよ。一人暮らしの男には意味が分からないですよね。そうか…不特定多数の人に開くというのは、こういう事なのかと。
「住み開き」を持続させるという点では、一人だと手が回らない事もあると思います。友人グループで場所を借りて「住み開き」というのも、ケンカ別れしてしまう事だってあるでしょう。一番安定的なのは家族という単位じゃないでしょうか。「住み開き」という活動を、理解し協力してくれる家族がいれば、上手くいくと思います。」
この時に例として挙げられたのが、谷町4丁目にある「谷町空庭」。(こちら)
主宰者の方の家族が所有する自宅ビルの一部分を活用して「住み開き」を続けてこられているようだ。調べてみると、「住み開き」だけではなく、自給農プロジェクトや共用オープンオフィスなど多彩な活動をされていて興味深い。
米子「イベントをやる時は、いつもホーム・パーティの延長線上だと思ってます。
当初は、どんな企画でも、やりたい方を受け入れていたんです。となると、知らない人たちが来て、イベントをして帰る…その間ずっと立ち会う事になるんです。自分が興味の持てない事のために、一日を使うのは辛いですよ。立ち会いながらも「僕は何をしてるんだろう」という感じです。」
FLOATではどういったイベントが開催されているのだろう。
米子「知人に頼まれてイベントに貸す事もありますが、一番多いのは僕が思いつきでやるイベントですね。
今、定期的にやっているのは小田寛一郎くん・蛇谷りえさんの2人が中心になってはじめた「図書室の日」。始めて1年半になります。
実はこのFLOATをオープンした当初から、外に本棚を置いて自分の本を出してたんです。そもそも本を捨てたり売ったりすることが出来ないもので。誰かに読んでもらう方がいいですし。とはいえ、なかなか利用する人が増えなかったので、友人との話の中で出てきた「図書室の日」をイベント的に始めたんです。ひとり10冊位、みんなでお薦めの本を持ち寄って作った図書館なんです。
米子「音楽イベントとして定期的にやっているのはSHCです。3年も続いてますから、僕自身も安心して貸せますし、対外的にもFLOATの名物イベントと思われているようですね。
僕も音楽をやってきた人間ですし、初期のSHCには当然のように出演してたんです。でも実際にやってみると、出演するだけでは済まない。FLOAT側の人間として、PAの担当とかリハーサルの立会いとか色々やるべき事があって大変なんです。
それ以来、SHCに限らず、ここでの音楽ライブには出ないようにしてます。ある意味、自分の家でもありますし、どちらかに絞らないと集中できないですからね。
もちろん音楽を辞めた訳じゃなくて、FLOATでの出演をです。別の場所での音楽イベントではちゃんと演奏しますから。」
FLOATを運営者として取材したのだが、米子氏はそもそも音楽家である。ソロやコラボの他、「SamuraiJazz Quintet」等のユニットで音楽活動を続けられている。SJQのホームページで視聴できるPV(こちら)を見る限りにおいては、かなり先鋭的でエクスペリメンタル(実験的?)だ。いやはや何とも面白い。残念なのは、僕自身が米子氏と深く音楽談義できるレベルではない事だ。
FLOATの運営方針的な事を訊いてみた。
米子「例えば本なら印税がありますよね。読者が新刊で買って、読んで楽しんだ分がキチンと著者に還元されるシステムです。でも演劇にしても音楽にしても、ライブの場合はそうはならない。
ライブハウスは大抵の場合、出演者からお金を取って営業するんです。お客さんは、出演者に払っているつもりの入場料も、実際は場所代に消えてしまう。いや、場所代にさえならない事の方が多い。出演者が潤うためには、かなりの動員が必要なんです。
それって何かがおかしい。僕自身も出演する側の人間でもあるので、そう思ったんです。
だからFLOATでは基本的に場所代はいただいてません。営業的にやるつもりは無いんです。ただ、入場料を取って諸々の経費を引いても、まだ儲かっている時には、何割かくださいとは言ってるんです。けど、ほとんどは残りませんね。もし、お金が余ってるなら出演者に払ってもらう方が嬉しい位です。
バンドのライブ会場の候補のひとつとして見られても、普通のライブハウス的な営業をしてませんし、使う側にしても、かなり勝手が違うと思うんです。そのへんを理解いただけるなら、知らない方にもお貸ししたいと思っています。でも、どこでもできるけど、ここの雰囲気がちょっと気に入ったという程度なら、他でやってもらう方がいいと思います。 お互いにね。
僕が面白いなと感じれれば、何でもやってもらいたい。まぁ、企画段階では分からない事だって多いですけどね。ただ、少なくとも、ここでやることの意味があって欲しいとは思います。
前にやったイベントですが、裏の安治川にボートを浮かべて、屋上から蹴ったボールを追って動き回るパフォーマンスとか、体にワイヤーを付けた人を屋上から大勢で引っ張り上げて垂直の壁を駆け登るイベントとか……。
FLOATだからこそ(笑)できるようなものがいいですね。」
場所としていえば、利便性の良い所ではない。スペースとしていえば、美しく快適とはいえない。
だが、誰しもが設備の整った立派なホールを必要とする訳ではない。大きな器には大きなバジェット=リスクが伴うものだ。
「お金であまり無理をせずに、自分の身の丈サイズでイベントを続けていけたら」と言うのは、SHCの杉原さんの言葉だ。
音楽にしろ、アートにしろ、新しい自分だけの表現を誰かに提示しようとする時、それに相応しいサイズがある。万人受けせずとも、その表現に価値を見出す者が集う「場」として、FLOATという環境は、すさまじく機能する。
価値付けられた過去の表現を並べて見せるのはギャラリーだ。それはFLOATの役目ではない。不安定にフワフワと浮かぶ(=フロートする)小さな表現の種子たちが、存在してゆくためにこそ必要なスペースなのだろうと思う。
聞きそびれた「FLOATの名前の由来」…そんな感じじゃないだろうか。邪推なんだけど。
文 福田浩一
撮影 今西一寿
FLOAT
〒550-0024
大阪市西区安治川2丁目1−28 安治川倉庫
tel 090-9860-2784
http://float.chochopin.net/
安治川の堤防沿いに立ち並ぶ…いや正確に言うと、周囲には空き地となったブロックも見受けられる事からも、取り壊されずに残っていると言う方がいいかもしれない。建築的な価値はよくわからないが、かなり老朽化した倉庫だ。昭和という時代を感じる。
倉庫というだけあってメインフロアの1階の天井高は高い。コンクリートブロックで覆われた内壁。剥き出しの鉄骨。搬送用だろうか、エレベーターの名残りもそのままだ。2階は事務所となっている(SHCのライブスペースだ)。
各種PA機器。奥には昇降エレベーター
1階内部。シャッターの向こうは安治川堤防
安治川というロケーションも含め、独特の雰囲気を持つこの場所を、イベント・スペースとしてパブリックに公開している米子さんに、数匹の猫がうろつく事務所で話を伺った。
米子「FLOATは2008年8月31日にオープンしました。
僕自身が音楽活動をしていたので、とにかく音を出せる場所を探していたんです。プライベートな音楽スタジオという意味では無くて、音楽を含めたイベントを開けるような場所が欲しかったんです。
とはいえ、自宅とスタジオを2軒同時に借りるのは経済的に無理でしたので、住居にもなるオープンスペースです。
環状線を一駅ずつ降りて探しました。天神橋商店街あたりの物件は家賃が高いし、寺田町となると隣家との壁が薄くて音は出し辛い。本当にいろんな物件を見てきて、最終的に見つけたのがこの倉庫なんです。昼間は工場街なので音も出し易いし、表の道の雰囲気も気に入り、コスト等の条件も合致した。堺出身なので、この辺の事情には明るくなかったんですけどね。」
江戸時代、大坂は「天下の台所」と呼ばれるように、物流と商業の中心地だった。とはいえ、その基地となったのは現在の大阪港・南港ではない(存在すらしてなかった)。大型船は安治川河口に停泊し、荷物は水運の良い川を利用して全国の蔵屋敷のある中之島に近い河川港で下ろされていた。それが川口・安治川地区だ。明治以降も、港湾機能の中心はこの地区であり、たくさんの倉庫群や造船関係の工場が作られてきた……という歴史を持っている。
米子「ところが契約した大家さんに、住むつもりだと伝えると、ダメだと言うんです。とにかく住居にするのはNG。理由はよく分からないのですが、そうらしくて…。
聞くところによると、この建物は昭和30年頃に建てられたものらしいんです。海運倉庫だったのか、今でも国の持ち物みたいです。契約書にも「内務省」という文字が書かれてますからね。
事務所兼イベントスペースならOKという事なので、とにかく契約したんです。まあ、住んではいますが…事務所に泊り込んでいるという事にしています。」
倉庫に住む…それだけでも驚きだが、そこが国有地とは…。頭は疑問符だらけだが、米子さんは軽々と実行している。しかも、ここはパブリックな場として開放されている。
それは「住み開き」と呼ばれる活動のようだ。
住み開き(すみびらき)とは、住居や個人事務所といったプライベートな空間を、本来の用途や機能を保ちながら、一部を限定的に開放しするこ とによってセミパブリック化させる活動や運動、そのような使われ方をする拠点のこと。自宅で子どもが独立してできた空き部屋や、事務所の空間、改築によっ てできたスペースをカフェやギャラリーなどとして、近隣の人たちにスペースを開放する。アイデアで色々な用途に使用でき、新しいコミュニケーションの場として広がりをみせている。(Wikipediaより)
プライバシーやセキュリティ意識ばかりが強調されがちな昨今、一部であるとはいえ、私的な領域である自宅を、広くオープンに公開するとはどんな気持ちなのだろう。抵抗は無かったのだろうか。
米子「確かに、もともと住んでいた場所を、後になって開放するというのは、いろいろ問題も出てくるかもしれません。でも、僕の場合は最初から場所を開こうと思って住み始めたわけですから。それに、たぶん僕自身、プライバシーが無くても大丈夫な性格だった事も大きいでしょうね。
ただ、場所を開いてみてから気づく事もありました。細かな話ですが、ある女性から「トイレに汚物入れを置いて欲しい」とお願いされたんです。ハッとしましたよ。一人暮らしの男には意味が分からないですよね。そうか…不特定多数の人に開くというのは、こういう事なのかと。
「住み開き」を持続させるという点では、一人だと手が回らない事もあると思います。友人グループで場所を借りて「住み開き」というのも、ケンカ別れしてしまう事だってあるでしょう。一番安定的なのは家族という単位じゃないでしょうか。「住み開き」という活動を、理解し協力してくれる家族がいれば、上手くいくと思います。」
この時に例として挙げられたのが、谷町4丁目にある「谷町空庭」。(こちら)
主宰者の方の家族が所有する自宅ビルの一部分を活用して「住み開き」を続けてこられているようだ。調べてみると、「住み開き」だけではなく、自給農プロジェクトや共用オープンオフィスなど多彩な活動をされていて興味深い。
米子「イベントをやる時は、いつもホーム・パーティの延長線上だと思ってます。
当初は、どんな企画でも、やりたい方を受け入れていたんです。となると、知らない人たちが来て、イベントをして帰る…その間ずっと立ち会う事になるんです。自分が興味の持てない事のために、一日を使うのは辛いですよ。立ち会いながらも「僕は何をしてるんだろう」という感じです。」
FLOATではどういったイベントが開催されているのだろう。
米子「知人に頼まれてイベントに貸す事もありますが、一番多いのは僕が思いつきでやるイベントですね。
今、定期的にやっているのは小田寛一郎くん・蛇谷りえさんの2人が中心になってはじめた「図書室の日」。始めて1年半になります。
実はこのFLOATをオープンした当初から、外に本棚を置いて自分の本を出してたんです。そもそも本を捨てたり売ったりすることが出来ないもので。誰かに読んでもらう方がいいですし。とはいえ、なかなか利用する人が増えなかったので、友人との話の中で出てきた「図書室の日」をイベント的に始めたんです。ひとり10冊位、みんなでお薦めの本を持ち寄って作った図書館なんです。
月一回の開放日として「図書室の日」を設けています。本当はその日じゃなくても、事務所に誰かがいれば利用してもらえるんですが、まぁ「図書室の日」に借りられる方が多いですね。 ただ最近は本が増えていくばかりで。スペース的にも限界がありますので、どうしようかと考え中です。」
2階事務所にてSHC企画の杉原さんと
米子「音楽イベントとして定期的にやっているのはSHCです。3年も続いてますから、僕自身も安心して貸せますし、対外的にもFLOATの名物イベントと思われているようですね。
僕も音楽をやってきた人間ですし、初期のSHCには当然のように出演してたんです。でも実際にやってみると、出演するだけでは済まない。FLOAT側の人間として、PAの担当とかリハーサルの立会いとか色々やるべき事があって大変なんです。
それ以来、SHCに限らず、ここでの音楽ライブには出ないようにしてます。ある意味、自分の家でもありますし、どちらかに絞らないと集中できないですからね。
もちろん音楽を辞めた訳じゃなくて、FLOATでの出演をです。別の場所での音楽イベントではちゃんと演奏しますから。」
FLOATを運営者として取材したのだが、米子氏はそもそも音楽家である。ソロやコラボの他、「SamuraiJazz Quintet」等のユニットで音楽活動を続けられている。SJQのホームページで視聴できるPV(こちら)を見る限りにおいては、かなり先鋭的でエクスペリメンタル(実験的?)だ。いやはや何とも面白い。残念なのは、僕自身が米子氏と深く音楽談義できるレベルではない事だ。
FLOATの運営方針的な事を訊いてみた。
米子「例えば本なら印税がありますよね。読者が新刊で買って、読んで楽しんだ分がキチンと著者に還元されるシステムです。でも演劇にしても音楽にしても、ライブの場合はそうはならない。
ライブハウスは大抵の場合、出演者からお金を取って営業するんです。お客さんは、出演者に払っているつもりの入場料も、実際は場所代に消えてしまう。いや、場所代にさえならない事の方が多い。出演者が潤うためには、かなりの動員が必要なんです。
それって何かがおかしい。僕自身も出演する側の人間でもあるので、そう思ったんです。
だからFLOATでは基本的に場所代はいただいてません。営業的にやるつもりは無いんです。ただ、入場料を取って諸々の経費を引いても、まだ儲かっている時には、何割かくださいとは言ってるんです。けど、ほとんどは残りませんね。もし、お金が余ってるなら出演者に払ってもらう方が嬉しい位です。
バンドのライブ会場の候補のひとつとして見られても、普通のライブハウス的な営業をしてませんし、使う側にしても、かなり勝手が違うと思うんです。そのへんを理解いただけるなら、知らない方にもお貸ししたいと思っています。でも、どこでもできるけど、ここの雰囲気がちょっと気に入ったという程度なら、他でやってもらう方がいいと思います。 お互いにね。
僕が面白いなと感じれれば、何でもやってもらいたい。まぁ、企画段階では分からない事だって多いですけどね。ただ、少なくとも、ここでやることの意味があって欲しいとは思います。
前にやったイベントですが、裏の安治川にボートを浮かべて、屋上から蹴ったボールを追って動き回るパフォーマンスとか、体にワイヤーを付けた人を屋上から大勢で引っ張り上げて垂直の壁を駆け登るイベントとか……。
FLOATだからこそ(笑)できるようなものがいいですね。」
場所としていえば、利便性の良い所ではない。スペースとしていえば、美しく快適とはいえない。
だが、誰しもが設備の整った立派なホールを必要とする訳ではない。大きな器には大きなバジェット=リスクが伴うものだ。
「お金であまり無理をせずに、自分の身の丈サイズでイベントを続けていけたら」と言うのは、SHCの杉原さんの言葉だ。
音楽にしろ、アートにしろ、新しい自分だけの表現を誰かに提示しようとする時、それに相応しいサイズがある。万人受けせずとも、その表現に価値を見出す者が集う「場」として、FLOATという環境は、すさまじく機能する。
価値付けられた過去の表現を並べて見せるのはギャラリーだ。それはFLOATの役目ではない。不安定にフワフワと浮かぶ(=フロートする)小さな表現の種子たちが、存在してゆくためにこそ必要なスペースなのだろうと思う。
聞きそびれた「FLOATの名前の由来」…そんな感じじゃないだろうか。邪推なんだけど。
他所のイベントの案内板
文 福田浩一
撮影 今西一寿
FLOAT
〒550-0024
大阪市西区安治川2丁目1−28 安治川倉庫
tel 090-9860-2784
http://float.chochopin.net/