「一番楽しいのは上映会」 Planet+1代表 富岡邦彦さん
1:48 // 2 コメント // shuhei // Category: 映画 //高校を卒業して、僕は東京の専門学校に通っていた。
一番楽しかった授業は、出されたテーマに沿って5分〜10分くらいの短編を創ること。
苦労して仕上げた作品は自分の子供みたいに可愛くて、それを見た人が「おもしろかった」と言ってくれると、その日1日ずっと幸せな気持ちでいられた。どうすればもっとおもしろいものが創れるのか。その答えを探していくうちに、 僕は初めて『映画を見る』ことを意識するようになった。
大阪中崎町、ここには『映画を見る』ことを教えてくれる関西で唯一の上映室がある。
Planet+1(Planet Plus One /プラネットプラスワン)。
映画創世記からの歴史的な作品を上映する一方で、 若手監督達のインディペンデント作品を公開する場としても提供されている。
黒沢清監督「地獄の警備員」の脚本や、山下敦弘監督「バカの箱船」「リアリズムの宿」などのプロデュース、そして海外インディペンデント系映画祭のプログラムや作品選定も担当されている。
新・旧の映画が混在するPlanet+1。
そんな独特の上映スタイルについて、富岡さんに色々とお話を伺ってきた。
― まずはじめに、「Planet+1」を設立されるまでの富岡さんについてお伺いします。
富岡邦彦(KT):20歳前後で関西大学の映画研究部に入ったんだけど、そこでは自分達で上映会をやるんです。 ビデオもDVDもない時代ですから、16mmのレンタル会社からフィルムを借りてきて、学園祭の時に上映してたわけ。 学園祭の直前に、日活のロマンポルノを借りて来てそれで稼いで、学園祭の企画をやるっていうのが、 80年代はだいたいどこの大学の映画研究部もやってたんじゃないですか? 映画の研究部って言っても、たいした研究してないのよ。 自分達の好きな映画の話をするか、二月に1回、フィルムを借りて来て上映会をするか、ってところが始まりでね。
卒業する前、僕はまだ全く無名のヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)のフィルムをドイツ文化センターから借りて来て、 大学の中で上映してたりしたけれども、僕としてはヴェンダースを発見したくらいの勢いだったので外でも上映したんですよ。 ちょうどその頃くらいに、ヴェンダースが「ことの次第(Der Stand der Dinge /1981年)」って映画で来日したわけ。 「パリ、テキサス(Paris,Texas /1984年)」を撮る前だから、まだまったく日本では無名ですよ。だから大阪でヴェンダースにインタビューする人は誰もいなくて、 丁度僕たちは上映している時だったから「会いませんか?」って話になって。それで会って、結構話が盛り上がった。
一方で8mmで大阪芸大の連中なんかが撮ってるのにスタッフで参加したり、撮影をやってみたりするようになって。
― 大学を卒業されてからは?
(KT):結局就職せずにバイトとかしながら、ちょ うど黒沢清さんと知り合うことになったんです。 「スウィートホーム(1989)」が終わった後くらいかな、僕の知り合いのプロデューサー志望の奴と一緒に、黒沢さんが大阪来るたびに会ったりして。 で、脚本をやろうってことになって、だいぶ後に映画になる「カリスマ(1999)」っていう企画が黒沢さんにある、と。 最終的には僕の手は完全に離れているけれども、僕が第一稿を書いて、それが黒沢さんとしては非常に面白かったみたいで。
当時もう会社としては傾きかけてたんだけど、相米慎二さんとか長谷川和彦さんが始めたディレクターズカンパニーって会社が、 関テレで「DRAMADAS」って深夜枠のドラマを撮ってたんですよね。 それで黒沢さん演出・椎名誠さん原作の「悶え苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵(1990)」ってのの脚本を書いて。 その後、知り合いのプロデューサー志望の奴が東京に行って、テレカンを中心にプロデューサー見習いを初めてたので、僕も行ったん です。
でも当時のディレクターズカンパニーは人を雇う余裕なんかなかったから、 フリーの人間としてそこで企画を進めるってことで「地獄の警備員(1992)」っていう黒沢さんの映画を書く事になったわけで す。 黒沢さん、万田邦敏さん、高橋判明さん、塩田明彦さん、あのへんとよくつるんでたっていうか、 黒沢さんのマンションに集まって、朝まで映画の話をする、企画の話をするっていう、まあ学生の延長でした。
― それからなぜ、大阪に戻ってこられたんですか?
(KT):そこなんです。ひとつはディレクターズカ ンパニーが潰れてしまったってこと。
もうひとつは、そういう集まりで話していて も我々の、こう…ある程度映画を見て来た上で面白いっていうのが やっぱり企画としては上の人達に中々通らないわけですね。新しい世代が何かやろうとすると、上の世代の人達は何をやろうとしてい るのかわからない。 自分達の論理っていうのは上の世代の人達も 持ってるから、そことずれていると中々理解してもらえない。これはいつの時代でもそうですよ。ただ問題は違う事をやろうとしている時に、 それを支持する観客もいないわけです。
つ まり映画を見ていない人達がたくさんいるわけですね。 音楽の歴史でもそうやけれども、ある程度振り切れてしまって、一般のお客さんがついて来れなくなってくると、 逆に振り切れて一般に受けるものがバッと出て来てそれがブームを起こすっていう振り子がいつも働いてますよね。 それと同じで、ある程度振り切ったところ、今の映画の次の段階っていうのに行った時に、 ある程度これまでの映画の流れっていうものを知っていないと、 なんで今この地点にいるのかわからないわけだから、そういうことを知ってもらう必要があるなっていうのが東京でもずっと思ってい たわけです。
「プラネット映画資料図書館」てのが南森町にあって、学生の時によく行っ てたんです。 自分達で映画の資料を持ち寄って映画のこと やろうっていうので、よく上映会をしてた。 僕が学生の頃は、見れない映画を見に行った りしていて。 ディレクターズカンパニーも潰れて、大阪へ 帰ってこようかって時に、 プラネット映画資料図書館が何か機能してる のかなと思ったら全然機能してなかったわけです。
僕が帰って来た頃にはもう上映会をしてな かったから、誰かしないんですかって話をしました。 その時丁度、地下のスナックが潰れたから、 倉庫として借りてくれへんかって話があったんです。
じゃあ、そこで富岡君やりませんかというこ とで、やりましょうと決めたのが、オウムと震災っていう混乱した1995年。
丁度映画生誕100年で盛り上がる時やか ら、12月にオープン。今年の12月で15年目になるんですけどもね。
― Planet+1での上映プログラムは、どのような基準で選ばれて いるんでしょうか?
(KT):基本的には大学4年間として、極端な話、 毎週プラネットに通ってもらえれば、 映画史上の重要な作品はこの100年間分は全部見れますよ、って言ってたんです。だから、だいたい12月25日はリュミエール兄弟(Auguste Marie Louis Lumière/Louis Jean Lumière)が最初の映画をパリで公開した日やから、毎年リュミエールの映画をやるわけです。 で、ここから始まって、D・W・グリフィス(David Wark Griffith)なりジョルジュ・メリエス(Maries-Georges-Jean Méliès)なり、映画史上の重要な作品…サイレントからだいたい60年代くらいまで の 重要なものをジャンルでくくる時もあるし、ムーブメントでくくるときもあるよね。 そういう形で4年かけたら、だいたい主要な表現主義…ドイツ表現主義であるとかヌーベルバーグであるとか、 50年代のポーランド派であるとか、ネオリアリズム派であるとか、一応映画史を勉強したら出て来る塊があるじゃないですか。 方向性が変わって行く流れが。それを一通り、まあ順番にこう回して行くっていうのが、常にやってる4年くらいのプログラムですよね。 そういったプログラムは全部僕が考えて、プラネット映画資料図書館が所有しているフィルム、 あるいは日本の何処かのコレクターが持ってるフィルムであったりを借りて来て、まあそりゃ欠落はあるけども、上映してきました。
― そのようなスタイルの「映画館」というのは、他にはないんじゃない ですか?
(KT):例えば国立フィルムセンターとかはそれに 近い考え方で国がやってるけれども、民間でそれを勝手にやってるのはウチくらい。
(KT):今の若い人っていうのは映画を見る機会 が、本当言うとすごくあるんです。でも古いのは見ない。 なぜ見ないのかっていうとどれを見たらいいのかわからないから。そりゃやっぱりあれだけ大量にあったら、 結局わからなくて新しいのを選ぶってなるわけですよ。
僕らの世代ってのはまだ淀川長治さんが「日曜洋画劇場」とか、地上波で普通に白黒映画やってたんですよね。 それを偶然見てしまって、この時代の映画面白いんだって発見する時があるんですよ。 今は一方で見る機会はあるけれども別のチャンネルになるから、映画が好きっていう前提の人でないとそのチャンネルを見ないわけで すね。僕らの時っていうのは普通に地上波でやってて、それを偶然見てしまって、 映画って面白いねって普通の人が引っかかるチャンスがあったんだけれども、それが今はなくなってるのが非常に残念。 選んで見ることはできるけれども、物が多すぎて選ぶところまでいかない。ガイドラインがないわけですよ。
― そういった映画史としての上映プログラムに対し、インディペンデン トの若手監督達に上映の場として提供される理由は?
(KT):設立当初から、何となく頭の中には古い映 画を見せる一方で、 今現在のインデペンデントの作品を見せて行 く場所を作らなきゃいけないっていうのが頭の中にあったんです。 わかりやすく言うと、ライブハウスってそれをやってるわけじゃないですか。 小さいライブハウスが若手のミュージシャンにやらせて、そこからブレイクするってのが普通にある。 けれども、映画はなかなかそれをやらないよね。当然映画館はそれはできないってことになるから、 ならばそういう場所として、貸したり、あるいは一緒に上映会をしてみたりという場所にしようっていうのは、始めから何となくあり ました。
で、1年経つか経たないかの頃に、大阪芸大 から熊切和嘉が「鬼畜大宴会(1998)」ってのを持って来たわけですよ。まだPFFに出す前やった。 ビデオ見せられて、あんまり好きじゃなかっ たけどこれ当たるからやろうぜってなって…そこで、初めて自分達で巻き込んで宣伝して、上映するってのをやったわけですよ。 そのとき山下敦弘や近藤龍人や向井康介は熊切の後輩の2年生ですから、前の堂山街の所でチラシ巻くとか、看板持ちとかしてた。 で、僕らも2年後作るんで、上映させて下さいって話はしてたんですよね。
― やっぱり上映すること、第三者に見せることで、作り手の意識は変わるんですね。
(KT):そうです。それを最近の人はやらないんですよ。例えば黒沢さんや石井聰亙さん等、あの世代の人達は自主制作を8mmで作ってるわけですよ。 てことはDVDで「はい、見て下さい」ってわけにはいかな いから、当然映画を作るってことは上映することが目的で作ってるわけです。 一番楽しいのは上映会なんですよ。
僕がやってた頃だって、扇町ミュージアムスクエアを1日借りて、いついつ上映することを決めて映画を作りだしてる。 前の日まで編集して、録音やり直して、朝寝 ずに車で持ち込んで、もうチケットも売ってるわけやから、 自分達でチケット売ってお客さん呼んで、見せる。これが面白いからやってたわけ。 いつの頃からか不思議なことに、自主映画をやってる連中はコンテストに受かって映画監督になりたいって奴が増えた。コレはだめだ よ。 やっぱり自分達で作ったものを、本当にお客さんにチケット売ってみせる。演劇と同じ。そこが面白かったわけですよ。 自分達で作ったものを上映して、ドカンと受 けたら「やった!」っていう。そこの気持ち良さですよ。
それがいつの頃からか、自主映画作った… ちょっと何かコンテストに出した…落ちた…あ、じゃあもう駄目だ…みたいになる。 そうじゃなしに、上映会しろよって。上映する瞬間が一番楽しいのに、そこの楽しさを知らずに、何で撮ってるのかなって思うわけです。
(KT):コンテストに出して落ちようが何しようが 関係なしに、 自分達で上映して、お客さん入れて、お金を 回収するっていう楽しさじゃないですか。 商売の部分とアートの部分と2つあって、そ の両方があるから映画やってるんですって感じだから。
「メジャーでやってるあれより面白かった」って言わせてやるぞっていう思いで作ってたわけだから。 学内の上映会はどこにでもあるけれども、そこからどう外に出て来るか。 熊切は学校の卒業制作展が終わって、そのあとウチに来て上映したいんですと言ってチラシを作るとこから始まって、 上映したら結構ヒットしたわけですよ。そのあとぴあに出して、準グランプリをとって。
やっぱり自分達で上映会することの喜び を知ってるし、その後を継いだ山下や柴田、向、近藤もそうですよ。 自分で作ったものを自分で上映して、ドッと受けて、「面白かったよ」って言われるその場にいたいから映画作ってるようなもんやか ら。
学校の中だけでやってて、学校の中での 評価ってあるけれども、 普通のお客さんが見た時にどう思うかっていうのを作り手が感じないとあかんとこですよね。
― それでは最後に、今後の「Planet+1」についてお聞かせください。
(KT):古い映画の上映は特集でこれからもどんど ん続けていくんですけれども、 今現在形の日本映画、次来るのはこういう人達だっていうのをしっかり見せて行きます。
もう1つはシネ・ドライブという無審査で参加作品全てを上映するイベント。 ここでの問題はさっきと同じで、今年もそうやったけども、出したけど見に来るのは自分の作品だけって人が大量にいる。 自分の作品だけ見てどうするのって話なんだけれども。 ここで監督賞をとった大江崇允監督の「美しい術」、これは関西から出てきた本当に新しい才能。 非常にこう…演出について考えている。最近の若い監督の作品っていうのは、映像が中心になっちゃうんですよね。 役者とのコミュニケーションがとられていないことが多いけれども、彼は本当にそこをきっちりしている。
それと今週末からやる「桃まつり(5/24〜6/4)」ってイベントでは、インディペンデントの若手女性監督の作品をまとめてや ります。
第3金曜日の夜、「月1金曜会」という、下 のカフェで自主映画の監督や役者さんを集めた会をしたりもしてますし、 神戸資料館でワークショップも始まりました。学生時代に作った自主制作を、僕は池袋の「テアトル池袋」というミニシア ターで上映してもらったことがある。
学校別に出品された代表作品を観客が投票し、順位を決めるというイベント だった。上映前は自信満々だったが、他の作品を見てだんだんと自信が薄れ、自分が井の中の蛙だということを思い知らされた。結果は6作品中、4位。それまで自分の作ったものを見てくれるのは、同じ学内の生徒や教師だけだったから、その世界の評価だけが全てだと思い込んでいたのだ。
でもその経験は僕にとって、凄くありがたかった。何の確証もない半端な自信を折ってくれたのだから。
第三者に見せることの意義は、そういったこともあるんだと思う。
いい映画が生まれるには、それを「いい」と判断できる目をもった観客がいなければならない。
そしてもちろん、いい映画を作れる監督が育たなければならない。
そういった思いで活動される富岡さんに、僕は映画への途方もない愛を感じ た。
そして、もう一度自分も自主制作がしたくなった。上映したくなった。
インタビューの最後の方で、僕は富岡さんに「初めて見た映画はなんですか?」と訪ねた。
少し考えてから、「じゃあ、初めて『2回』見た映画の話をしよう」と笑顔で話された。
ロバート・アルドリッチ(Robert Aldrich)の「北国の帝王(Emperor of North/1973)」。
おっさん二人が機関車の上で戦う映画らしい。
初めて2回見た映画、僕はなんだったろう。
文 山下修平
撮影 今西一寿
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Planet+1代表 富岡 邦彦
〒530-0016 大阪市北区中崎町2丁目3-12 パイロットビル2F(中崎第2ビル)
TEL:(06)6377-0023
HP → http://www.planetplusone.com/
mail → cinema-planet1@y2.dion.ne.jp
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JR大阪駅より徒歩約15分 阪急梅田駅・茶屋町口より徒歩約10分
車での場合は中崎1と中崎2の交差点の間に複数コインパーキングあり
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naokey
2010年6月1日 20:58
面白かったです!!
こんなに深くて濃い上映室があるなんて知りませんでした。
日本の映画の歴史上でかなり重要な場所、重要な人のような気がしました!
テレビに取り上げられてもおかしくないですよ!
またこんな情報教えて下さいね!
楽しみにしてます!
Unknown
2010年6月1日 23:17
待ってますよ
何にも似てない貴方だけの映画が
いつかできる事を
それに
協力できたら幸いです。
清花